バッハの遺言 目次
・第1部:Soli Deo Gloria! ---帰着すべき原点と窮極目的--- をアップロードしました。

・第2部以降は、暫くお待ちください。本HPの執筆に手が回らない状況が続いていますので、長い目で見守っていてください。

・ディスコグラフィーを公開中(一部編集途中)。

・高久敏春氏のギターリサイタル情報掲載。

・お気軽にお問い合わせください。



Soli Deo Gloria! ---帰着すべき原点と窮極目的---をアップロードしました。(09.10.19)

第2部をアップロードは現在大幅に遅れております。2010/4頃に掲載を予定しています。

デイスコグラフィーを公開しています。BWV 1052は、編集途中です。

BWV 51, BWV 202, BWV 1014-1019, BWV 1052, BWV 1083


<2010.01.29公演>高久敏春ギターリサイタル "J.S.Bach"情報をアップしました。

 バッハの音楽は、全ての作品において明確な意図があり、また人類に対してのメッセージが込められています。その意図の持つ意味を理解するにつれ、それが他の音楽家のものとは全く別次元の存在であると気付くようになります。他の作曲家も、もちろんその楽曲の中に様々なメッセージを込めて作品を作っているのですが、その内容の深さと精巧さは比類なきものといえるでしょう。そしてその内容はまた、音楽という一範疇に留まるものではなく、人類が真に理解していかなくてはならないものであると確信されます。
 音楽の専門家でない私のような者にしてみれば、音楽家のような楽曲解釈は当然出来ません。しかし、バッハがメッセージとして残したかったものが、音楽を越えた普遍的な秩序・真理であることから、音楽の門外漢である人達にとっても、様々な観点からそのメッセージに気付くことが可能であり、そして感動を覚えることが可能となっています。
 バッハが一体何を伝え残したかったか、ここに一つの解釈をおこなってみたいと思います。その解釈は、あくまでも私個人の解釈ですので、それが絶対的であるという訳にはいきません。しかし、私の解釈をお読みいただくことにより、読者自身がバッハからのメッセージを受け取ることの一助となれば幸いだと思います。
 バッハの作品には、多面的かつ重層的な仕掛けが存在しています。そのため、簡単にはその意図するところを理解できるものではありません。視点を変えて言えば、同じ作品でも、それぞれの人の感性の違いにより、違った発見が数々可能であるということです。バッハは人類の叡知を遥かに越えた奇跡の存在です。
 バッハの残したメッセージを紐解いていく前に、筆者について少し自己紹介しておきます。
 何かを紐解くにあたっては、それぞれの人のバックグラウンドを足場になされることになり、そのバックグラウンドのフィールドの違いや奥深さ(底浅さ)により、紐解きの方法に違いを生じ、また、本当に紐解けるかどうかの結果も違ってきます。これまで、バッハの人間像を紐解き書物など残されている方々は、殆どが音楽関係者であり、その他は、神学者や宗教関係者などになります。筆者は、科学研究の分野で長年仕事をしてきた者です。そのような者が、音楽や神学・宗教に明るい者がこれまでに語ってきた以上の何かを見い出すには、フィールドが違い過ぎると思われる方もいるかも知れません。しかし、バッハが曲を作り続けた究極の意図が、音楽の発展のみならず、また、旧来の宗教感を大きく越えるものであったのなら、むしろ別の専門分野の視点からの方が、新たな発見の可能性を多く持っていると言えます。
 筆者は、バイオの研究者です。20年以上にわたり蛋白質に関わる研究を行ってきています。科学研究を行っていると、大発見とまでいかなくても、小発見の繰り返しを体験することになります。発見の体験が積み重なってくると、演繹的に、実際の発見前に「あれはこうなっているはずだ」ということが分かるようになってくるものです。科学の分野で発見されるものは、理にかなっているものです。そしてそれらは必ず理論付け可能なものです。ただし、そこから理解されるそれぞれの発見の理は、部分真理でということになります。実際にはミクロコスモスからマクロコスモスに至るまで貫通している絶対的真理というものが根底に存在しているはずなのですが、それを理論付けして表現することは少なくとも現状では不可能なことです。絶対的真理の全体の正確な理解は人間にとっては遠く及ばないことですし、理解できたとしても、それを数学的法則や物理的法則のみで記載することもできないことでしょう。多分、真の科学者と言うべき人は、絶えず、自らの研究領域の発見から、その根底に存在する絶対的真理の理解を究極の目的として、演繹的にいつも思考を巡らしているはずです。
 筆者は、自らの研究に関することを科学雑誌や単行本に執筆する機会が何度かありました。その際には、研究成果の客観的事実を表記するだけではなく、大抵の場合は、そこから演繹される何かを、コッソリ入れ込んで執筆しています。特に科学雑誌の場合、客観的事実でないことを表だって表現することは、雑誌の性質上そぐわないので、そのようなことは簡単には出来ません。しかし、絶対的真理を探求している科学者は、必ず何かのメッセージをコッソリ入れ込んでいるのです。これは、私の知人の研究者の言葉ですが、これを「行間に込められたメッセージ」と呼び、この行間のメッセージこそが執筆の真の目的であり、また読者にとっての解釈の力量がためされるところであると言っておられます。
 私のバッハとの出会いは14歳(1974年)の時にまで遡り、それ以来、バッハは様々なメッセージを伝え続けてくれる存在となっています。  「様々なメッセージを伝え続けてくれる」と書きましたが、果たして、本当にバッハは意図して何らかのメッセージを残していたのでしょうか。バッハを形容する際、よく以下のように表現されてきました。バッハは、「自分自身のために作曲した」、「神の栄光のために作曲した」などです。しかし、聴衆のために作曲したとは、あまり評されません。これは、バッハが、聴衆に媚びた曲作りをしていないためですが、このようなバッハが、意図して人類に何かを残そうとしたのでしょうか。
 私は、全ての作品において、例外なくメッセージが意図して込められていると感じています。しかし、バッハが意図して残そうとした内容は、余りに超人的であることから、その意図すら感じ取れないとも言えます。そして、時代を超えて、もっとも難解なものの一つとも言えます。
 バッハの全ての音楽は、人類に対しての『遺言』であると言って過言ではなでしょう。
 
 


 まだ本編の内容はまだ充実していませんが、感想やコメントを頂ければ有難く思います。頂きました内容は、場合によっては、本HPで適切な形で公開させていただきたくも思っております。
 閲覧頂き、ありがとうございました。

著者:岩松明彦


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